マルメ 講義2018 第04回(5/12)

おはようございます。

GWをみなさんはどう過ごしましたか?

今日からマルメの講義は本格的に本論に入っていきます。映像に関する話をいろいろとしていきます。

その前にいくつか話をしましょう!

まず、新しいデジキャン!情報サイト作りました。

『知のパズル スーパーデジキャン!』
知っていて欲しい情報を載せています。見てもらえたら幸いです。

最新TV-CM事情

サントリー CRAFT&BOSS inspired by 『君の名は。』

新しいCMのコラボ(ドッキング)
WEBが”本体”で、TV-CMはあくまでもその媒体の一つと言えるのでは?
サントリー公式サイト

2015年からクレジットカードキャンペーンで年4回展開しているTV−CM
マルコとマルオの7日間

さて、本日のメインテーマは

映像とは何でしょうか?

その概念と特性とは?

まずは一緒にいろいろな映像を見ていきましょう!
本当はダイジェストではなくて全編見ていきたいのですが、時間の関係で端折ります。後でじっくり全編を鑑賞してみてください。

映画
「LIFE!」(2013) ベン・スティラー監督・主演
人生を変えるきっかけとは?ほんの些細な空想と勇気が人生をもっと豊かのものにしていく
ドキュメンタリー
「This is it」(2009)ケニー・オルテガ監督
急死したマイケルのためにコンサートのステージディレクターだったケニー・オルテガ(『ハイスクールミュージカル』の監督)が3ヶ月で完成、全世界公開した作品。
コマ撮りアニメ
「the SOHO X Post-it」
お台場にあるクリエターのためのデザインオフィスとポストイットがコラボした作品です
TVアニメ
「ピンポン」(2014) 湯浅政明監督
うーん、この手描き感がたまらなく良いと思う
TVアニメ
「悪の華」(2013) 長濱博史監督
ロトスコープと言う実写を一度撮影してからその動きをトレースする手法を取っている
ゲーム
「魔法つかいプリキュア!」
とうとうというかUnityを使ってアニメ制作をする時代になってきた。ゲーム、CG、アニメの仕切りはもはやないのかもしれない。
前半はCGソフトMAYAによるレンダリング、後半はUnityによるリアルタイム描画。その差はもうない。
アニメ映画

「楽園追放」予告篇
3DCGのセルアニメ感が成功している

3DCGのセルアニメ感が成功している

カネボウ「suisai」

TV-CM
カップヌードルTVCM HUNGRYDAYS 予告/魔女の宅急便 3篇

リクルートポイント すべての人生が、すばらしい

JR東海 X’MAS EXPRESS 60秒×5(1988-92)



これらの映像を通して見えてくるものは何でしょうか?

What is The Movie ?
映像とは◯◯である

What do The Movie have ?
映像には◯◯がある

ここにはいる言葉を考えてみてください。

映像とは、”画像”の集まりである
映像とは、”画素”の集まりである

映像には”種類”がある
映像には”大きさ”がある
映像には”タテヨコ”がある

映像には”色”がある
映像には”深み”がある
映像には”動き”がある
映像には”奥行き”がある
映像には”音”がある

映像には”ストーリー”がある
映像には”心理描写”がある
映像には”意味”がある
映像には”意図”がある
映像には”必然”がある

私たちは、映像を見た時にそこに何か意味があると考え(思い込んで)、その意味を自分なりに考え、発見しようとします。映像の中に何を感じるかを自分の中で問い直すことができます。

あるいは、私たちは映像を見た時にそこに意味を求めたり、見出そうとします。

ということは、

私たちは、映像を創る時にきちんと『何か』の意味を埋め込んでいかないといけません。

映像って何?
視覚と映像
映像の概念と特性

視覚の概念、視覚の特性

映像を捉える前に
視覚という概念があります。

視覚とは、


それは人間の眼で捉えることを意味します。

そして視覚には

視覚としてのの特性があり

視覚には視野があり、色や物の形、遠近感を感じることが出来ます。それによって実生活で移動したり、モノを取ったり、投げたり、さまざまな生活や活動をすることが可能になります。

視覚は生物が持つ知覚のひとつであり、自分の周囲の環境を認知する為に必要不可欠な機能です。人間にはふたつの眼球がその役割を果たします。
一方、映像は視覚とは違います。

映像の概念、映像の特性

映像は何らかのハード、ソフトによって生み出されるもので、次のような制作工程の中で生み出されます。

つまり映像は必ずしもただ単に視覚で捉えたものではありません。映像は常に別の付加要素を含んでいます。

視覚が目の前で行なわれていることに対して、映像は必ずしも目の前で行なわれていることではありません。それは映像が、一旦撮影、記録という工程を経て、新たに誰かの手によって加工編集され、再生(再現)されたものです。そこには音や文字情報などさまざまな付加された情報や加工編集によってデフォルメ、変形、修正など、意図的に付加された要素があるからです。それに対して視覚はなんら加工されたものはありません。あるのは視覚を通して見ている主観者だけです。しかし映像は、目の前の出来事を記録したとしてもその時点で別のものになっているのです。ニュース番組で現場の生中継を見たとしても、そこに映し出されたものは、もう既にその場にいて見ているものとは違うのです。

視覚→→→→→→主観者 直接はいってくる

映像→→(撮影)(収録)→(編集)→(再生・上映)→→主観者
↑      ↑
意図     意図

視覚と映像

また、演劇の舞台を観ることと映画を観ることは決定的に違うのです。

芝居の鑑賞と映像の鑑賞は違う

舞台演劇では、観客はその一幕で行なわれる”実時間”を観ることになります。暗転によって時間の移動を表現することはありますが、基本的にその一幕の中で時間が省略されたり、バックしたりすることはありません。演劇の実時間は芝居をしている時間です。ところが映像は違います。ショットあるいはカットと呼ばれる視点が変わる単位ごとに時間も場所も変えることが出来ます。しかも実時間を省いたり、ダブらせたり、ジャンプさせたり、ゆっくり見せたり、早く動かしたりすることが出来ます。演劇を観ることと映画を観ることの決定的な違いがそこにあります。

演劇は、同じフレーム(ステージ)を同一時間、実時間の中で見せていく。
映像は、ショット、カットごとに視点やフレーム(画角)が違い、時間の再生・上映時間も変化する。つまり作者の意図によって映像の見せ方が変わるということになります。

映像と実時間

映像の中では必ずしも流れる時間は実時間とは限りません。映像はカットという単位の文節で区切られています。カットとカットは本来は時間が繋がっているものですが、時間が飛んだり、省略することも可能です。

例えば二人が殴り合うシーンで殴りかかる。
二人のストップモーション。
暗転の後、
倒れて息を切らしているふたりみたいなことです。

カットは時間と空間(場所)を自由に行ったり来たりすることが出来るのです。

映像とは、時間と空間を駆使することによって表現し、何らかの意図的な要素を含んでいる技術的手法である

観客は自然にその映像やつながりからその映像の中に意味を見出そうとする。映像の作り手はその習性を認知しながら創作する必要がある。

最後にいくつか短編映像を紹介して終わりたいと思います

『ティファニー・ブルー』
『君の名は。』の映画プロデューサーであり、小説家の川村元気がティファニー×ゼクシィと制作

『ひといきつきながら』
『山田孝之のカンヌ映画祭』でおなじみ、映画では『苦役列車』、『リンダリンダリンダ』の山下敦弘監督の短編 NMB48の山本彩が歌う主題曲にも注目

『ラ、ラ、ランド』(2017)のデミアン・チャゼル監督の前作『セッション』(2015)、そのパイロットフィルムにあたる18分の短編がこちら。彼はこの作品をサンダンス映画祭に出品、見事グランプリを獲得し長編映画の資金を獲得をした。
『Whiplash』(2013) Short Film 日本語字幕版(冒頭3分)

『Whiplash』(2013) Short Film 英語版オリジナル18分